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Low Tide ロウ・タイド/もう耐えられない

イタリア・アメリカ映画 (2012)

母子家庭で生きる一人の寂しい少年を坦々と描いた作品。映画の舞台はテキサス州だが、監督はイタリア人、映画は、イタリア、ベルギー、アメリカの合作。だから、アメリカ映画というよりはヨーロッパ映画の雰囲気も漂う。その特徴は長回し。台詞が極端に少なく、単調なシーンが延々と映される。それでも飽きずに惹き付けられるのは、少年の心情が手に取るように分かり、感情移入がしやすいから。この映画には字幕が存在しないが、台詞が皆無に等しいので、鑑賞の妨げには全くならない。題名の『Low Tide』の第一義は「干潮」だが、もう一つの意味は「どん底」。これは、少年の心境をずばり表している。少年は、動物が好きな心優しい性格の持ち主で、自分のことなど構ってくれない母に対しても、すねたり反抗したりすることなく素直に接し、母が全くやってくれない家事も積極的にこなす。そんないい子でも、夏休みで、同年代の友達が一人もいない状態が続き、母の乱行があまりにひどく、自分がないがしろにされていると感じると、生きている意味が見えなくなってしまう。その最悪の一瞬に少年は自殺を考える。もし、この映画のラストが少年の死で終っていたら、この映画には何の救いも見出せない。しかし、幸いに救いがあった。それが、この映画に観る価値を与えている。

主役の少年を演じるダニエル・ブランチャード(Daniel Blanchard)に関する情報は皆無に近い。国籍すら分からない。一応アメリカとしたが、7年前にちらと出演したTV映画『Hercules』(2005)は、フランスとドイツの合作(撮影場所はパリ)。『Low Tide』(2012)で12歳とすれば、7年前だと5歳になる。そんな小さな子が、映画初出演でアメリカからパリまで行くとは考えづらい。フランス人かもしれないし、この映画はベルギー合作なのでフランス系ベルギー人かもしれない。その場合の標記はダニエル・ブランシャールになる。


あらすじ

テキサス州のどこかの田舎町の町外れ。季節は夏。平均気温は日中35℃、夜24℃なので暑い。映画は、12歳の少年が、半袖シャツ1枚で自転車を押しながら歩いているところから始まる(1枚目の写真)。名前は設定されていない。ただの “The Boy”。少年は、草地に1匹の蛇(ヤマカガシ)がいるのを見つけると、自転車を置いて、そっと近寄り、蛇が地面の亀裂に逃げ込もうとするのを、胴体をつかんで引きずり出す。そして、頭をさすってやりながら膝の上に置いて可愛がる(2枚目の写真)。蛇嫌いには見たくないシーンだが、少年が動物好きなことはよく分かる〔蛇のシーンが1分以上続く。途中で1回カットがあるだけ〕
  
  

少年は、その後、道路際にある氷の自販機まで行き、しわくちゃの1ドル札を2枚入れ、大きくて長細い袋一杯の砕氷を買う。袋をビニタイで縛り、背中に担いで道路を横断する(1枚目の写真)。家までは結構な距離で、歩いていうちに氷が溶けて袋が少し小さくなる。家に入ると、汗を拭いながら、小さな冷蔵庫の前までフローリングの上を引きずっていくと、中の砕氷皿に一部をつかんで入れる。そして、残りの氷を持って家の外に行くと、シャツを脱ぎ、上半身裸になり、氷の袋を頭の上で逆さまにし、全身で氷を浴びる。そして、草の上に落ちた氷を集めて枕のようにすると、地面に仰向けに寝て、氷の上に気持ち良さそうに頭を乗せる(2枚目の写真)。この映画で一番有名なシーンだ。
  
  

ここからは、別の日。少年は、自分のベッドのシーツをランドリーバスケットに入れると、母の部屋に向かう。そこは色々なものが散らかっている。少年は母のシーツをバスケットに入れ、次いで、ティッシュを1枚取ると床の上に落ちたままのコンドームをつかんで捨て〔ここは、少年と母だけの2人暮らしの家で、父親はいない〕、脱ぎ捨てた衣類もバスケットに突っ込む(1枚目の写真)。少年は、それらを洗濯機に入れ、青い液体洗剤を入れて洗う。こうした「家事」が終わると、少年は自転車を押して近くのトレーラーパーク〔ハウストレーラー用の駐車用地〕に向かう。知り合いのバーノン〔一緒に空き缶集めをするオジサン〕のトレーラーのドアを叩いて名前を呼ぶが〔映画が始まって8分目で、最初の台詞〕、中には誰もいない。代わりに、窓を叩いて飼っている猫に挨拶する(2枚目の写真、矢印)。その後、かなり遠くまで自転車で走り、ロデオの練習風景を覗くシーンがある。こうした一連のシーンから分かることは、少年は家でも外でも孤独だということ。同年代の遊び友達はいない。
  
  

少年は、家に帰ると、自分で夕食を作る。といっても缶詰を開けて、フライパンで温めるだけ。それを自分の部屋に持って行って床の上に置き、ベッドに腰を降ろすと、片手で皿を持ち、もう一方の手でフォークをつかんで食べる(1枚目の写真)。あまり健康的な食事とは言えない。夜遅くなり、少年がベッドで寝ていると、大きな音楽で目が覚める。少年は起きて、母の部屋まで行き、ドアの前で「ママ?」と呼ぶが返事がない。そこで、そっとドアを開けると、母は、正体不明なまでに酔っ払い全裸でベッドに転がっている(2枚目の写真)。少年は、部屋に入り、ラジカセを消し、母の裸体をケットで覆い、照明を消して出て行く。自分の部屋に戻る時も足音を立てないようにするので、少年の優しさが伝わってくる。
  
  

翌朝、少年が母の部屋を覗くと、母はもう出かけていない〔病院で、低賃金で介護や洗濯の手伝いをしている〕。少年は、自転車を押してトレーラーパークに向かう。いつも声掛けするオジサンの前を通り(1枚目の写真、矢印はバーノン)、2台先のトレーラーの前に座っているバーノンに挨拶する。少年は、バーノンと一緒に缶拾いに出かける。売ったお金をどう分配するかは分からないが、落ちている缶をせっせと拾う(2枚目の写真)。途中で、池の端に来た時、少年はサンダルを脱いで中に入り、平らな石を拾って投げて遊ぶ。バーノンにも石を渡すが、彼は巧く投げられない。
  
  

家に帰った少年は、泡風呂でさっぱりして居間のソファに座り、ボールを持って遊んでいる。すると、車の音がして母が明るいうちに帰ってくる。母:「Hey」。少年:「Hallo」。最少限の会話。母はラフな服に着替えると、少年の横に座る。母:「Get me a beer」(1枚目の写真)。少年はすぐに立ち上がり、キッチンに行き、冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出し、母に持って行く。「Here」もなければ、「Thanks」もない。母は気持ち良さそうにビールを飲み、少年はソファでない方のイスに座りボールで遊び始める(2枚目の写真)。母:「Is there any food?」。少年:「I’ll look」。少年はすぐに立って、またキッチンに行き、戸棚を開けてソーセージの缶を取り出し、母の前のテーブルに置く。母:「You want one?」。少年:「No」。母は途中で立ってトイレに行く。少年は、テーブルに行くと、ソーセージを1本食べ、もう1本もらっておき、ビールもちゃかり飲む。母はビールで睡眠薬を読むと、寝室に入る。この映画の中でも、意味のある会話が集中している部分なのだが、交わされた台詞は上にあげたものだけ。それでも、親子の交流の欠如と、少年の従順さがよく分かる。
  
  

翌日、少年は釣りに行く。途中で、持ち出した拳銃を取り出し、森に向かって5発連射する。ストレスの発散か? そういえば、2018年2月にロスで12歳の少女が学校で拳銃を撃って5人を負傷させる事件があった… 少年は拳銃をバックサックにしまう。次のシーンは釣り。ミミズではダメだったので、ソーセージをナイフで切ったものを釣り針に刺す〔投げ竿を使っている/釣れたかどうかは分からない〕。家に戻った少年はキッチンで、ガガンボと遊んでいる。すると、男が冷蔵庫に缶ビールを取りにくる。母が連れ込んだのだ。男は、少年がそこにいても全然気にしないし、少年も、慣れているのか平気だ。少年は、2人が居間で話しているところに入って行くと、壁に向かってダーツを投げ始める〔ダーツボードはない/壁の板に刺さるか、床に落ちるかの二択〕。投げてもうまく刺さらなかったので、男が見本を見せてやると言って投げる〔6本投げて刺さったのは2本〕。次に、勝負ということで3本ずつ投げる。最初に少年が投げ(1枚目の写真)、3本とも刺さる。次に男が投げ、3本とも落とす。これで興味をなくした男は、母と一緒に寝室に入ってドアを閉める。この先どうなるか、少年にはよく分かっている。耳を塞いでベッドで寝るしかない。そして、翌朝(2枚目の写真)、少年は母に起こされる。その日は、母と一緒に病院に手伝いに行く日だった。
  
  

母の車で病院に着くと、最初に2人が向かったのは、シーツやタオルの部屋。乾燥機から出てきたシーツを2人で折り畳む(1枚目の写真)。タオルは1人で畳んで棚に入れる。次に少年がさせられたのは、巨大な乾燥機のスイッチを入れること。別のシーンでは、身動きのできない入院患者の体を母が拭いている時、室内で待機していて、洗浄用の水を交換する。母は、大した用もないのに少年を同行させたようだが、そうかといって話し相手にするつもりなど一切ない。手伝いの要らない時は、勝手に放っておかれるだけ。何とつまらない夏休みだろう。もっとも、少年は、家にいたとしても、することは缶拾いか釣りくらいしかないのだが… 病院での仕事が終わり、母は少年を連れてスーパーに寄る。少年が棚から何かの缶詰を取ってカートに入れる。母は缶詰の上に貼った値札を少年に見せ(2枚目の写真)、3.9ドル〔当時のレートで約320円〕という数字を口で言わせ、高いからと棚に戻させる〔1日病院で働かされたのに320円の缶も買ってもらえない〕
  
  

同じ日か、別の日かは分からないが、少年が池の端で石を投げていると、対岸に2人の子供を連れた一家が楽しそうにしている(1枚目の写真)。少年の顔がクローズアップされる。表情は変わらないが、きっと羨ましいに違いない。その後、少年は草むらに横になり、考えごとにふける(2枚目の写真)。短いシーンだが、やるせなさが伝わってくる。
  
  

少年が家に戻った頃には、辺りが真っ暗になっていた。しかし、なぜか自分の家が明るくて賑やかだ。家に近づくと、ドアは開けっ放しで、外にも人がいて、音楽が鳴っている。狭い家の中には10人くらいの男女がいて全員にお酒が入っている。少年は、水だけ飲むと自室にそっと入り込む。最初は騒音で眠れないが、そのうちくたびれて寝てしまう(1枚目の写真)。すると、いきなりドアが開き、若い男が入ってきて起こされ、楽しめと言って連れ出される。男は、8人ほどの若い男女に、この子もパーティに入れようと声をかけ、賛同した別の男が少年を後ろから抱きかかえると、もう1人が嫌がるのを無視して缶の酒を口に注ぐ(2枚目の写真、矢印は酒/ビールは飲めるので別の飲物だろう)。こぼれた酒で上半身びしょ濡れになった少年は、自室に逃げ帰る。
  
  

いつの日かは分からないが、外はかなりの雨。雷も鳴っている。少年は1匹だけ金魚の入ったガラス鉢を持って外に出ると、雨よ入れ、とばかりに鉢を高く掲げる。そして、鉢を水溜りの横に置くと、じっと金魚を見つめる(1枚目の写真)。伝わってくるのは、孤独。次のシーンでは、少年が家の床をバスタオルで拭いている。1ヶ所激しく雨漏りする場所があり、そのせいで床が水びたしになってしまったのだ。少年は鍋で雨を受け、タオルでまわりの水を吸い取る(2枚目の写真、矢印は雨漏り受けの鍋、タオルの先にはかなりの雨水が映っている)。貯まった雨水を捨てた後、鍋に落ちる雨の音が、床に置いてあると「トントン」なのに、手に持つと「カンカン」と甲高くなるのに気付いた少年は、鍋を置いたり持ったりして楽しむ〔それぐらいしか楽しみがない〕
  
  

別な日、少年はバーノンと缶拾いに出かける。今回のシーンは「拾う」場面ではなく、買い取ってもらいに行く場面。2人で集めた缶は9ドルで売れた〔750円〕。2人はその後、牛の解体場に行き、肉を3ドル分売ってもらう。私は肉は好きだが、解体中の画像ではどの部位かは分からない。だが、ネット上での画像との対比から かなり良い部位に見えるが、それを500g.ぐらいで3ドル〔250円〕とはメチャ安だ。ただ、この3ドルが少年の取り分なのか、その後肉をどうしたのかは分からない。逆に、次に映されるのは、同じ解体場での牛の屠殺シーン。囲いの中の牛が、少年の目の前で撃ち殺される。牛の引きつるさまが延々と写され、可哀そう過ぎる。その後は、少年が小さなカエルと遊ぶシーン。冒頭の蛇の二番煎じ。だから、ここまで写真は使わなかった。家に戻った少年は、シャワーで何度もバケツに満杯にし、それを居間に用意したビニールプールに入れる。そして、そこに10匹ほどの金魚の入った袋を持って来て、注ぎ入れる(1枚目の写真)〔以前は1匹だったので買ったのだろうか?〕。そして、少年もそのまま中に入り、金魚と一緒に遊ぶ(2枚目の写真)〔爬虫類や両生類と違うので、何度も手ですくったりするのは可哀そう…〕
  
  

夜になり、少年が天井の裸電球の明かりの具合を確かめている(1枚目の写真)。手が届かないので、足の下にクッションを置く。すると、ピョンピョン飛び跳ねることができて面白い。何度かピョンピョンしてから、脇のマットレスに体を投げ出す、という新しい遊びを発見する。それが楽しくて何度もくり返す。このシーンは、1分30秒ノンカットで続くが、その間に「跳ねて倒れる」を7回くり返す。2枚目の写真は7回目で、映画の中で初めて笑みを浮かべるシーン。
  
  

真夜中を過ぎ、大きな音がしたと思ったら、母が完全に酔っ払って、ドアのところに倒れていた〔ドアを開けることはできた〕。少年が呼びかけても反応はない。半分引きずり、半分四つん這いで進ませて何とか母の寝室まで辿り着く。そこで母の意識は完全になくなる。どうやってマットレスに引き上げるか? ベッドフレームはなく、マットレスが直接床に置いてあるだけだが、マットレスの厚み分が持ち上がらない。そこで、母と平行に体を持って来て、母の腕を自分の肩にかけさせ、体を引き上げる(1枚目の写真)。マットレスの向きとは90度ずれているが、それ以上は限界。マットレスからはみ出た足の靴下を脱がせると、疲労困憊した少年は、マットレスの先端部にへたり込むように座る(2枚目の写真)。
  
  

翌朝、少年は、母がすぐシャワーを浴びられるようセットして、湯も出し(1枚目の写真)、母の寝室に呼びに行く。昨夜マットレスに引き上げた時には服を着ていたのに、朝入っていくと着ていた服はどこにもない(2枚目の写真)。少年は、お構いなく窓のブラインドを上げ、母を強引に起こす。今日も病院での仕事があるからだ。どっちが親だか分からない。
  
  

病院での少年は、午前中は暇をもてあそんでいる。昼食は、母と一緒に病院の食堂で 栄養バランスのとれた食事をとる(1枚目の写真)。その場で、母から、午後の仕事をきっちり言い渡される。大型の乾燥機を止め、中からタオルを取り出し、それを折り畳んで棚に入れる役割だ(2枚目の写真)。病院での最後のシーンは、母が、病人のいない2人部屋でベッドメイキングをするのを少年がじっと見ている。そして、母が出て行くと、部屋をそっと閉め、整えたばかりのベッドに入ってケットをかけて寝てしまう。
  
  

母がバスタブに腰をかけて足を洗っている。少年は、洗面の入口でそれを見ながら、母に、「今夜は、出かけるの?」と訊く(1枚目の写真)。「そう」。「夕食に戻ってくる?」。「ううん。あんた、食べ物ある?」。「うん、あるよ」。「じゃあ、何か作りなさい」。「分かった」。少年が話すのが映像として映る唯一のシーンだ。少年は、キッチンに行き、戸棚からスナック菓子を取り出す。そして、居間の壁にもたれかかると、イヤホンで音楽を聴きながら食べる。母は出かけて行く。次のシーンでは、少年が自転車を押して野原を歩いている。そして、岸辺の倒木の上に乗って釣りをする(2枚目の写真)。少年は、釣れた魚を朽木の上に持って行くと、ナイフで突き刺して殺す。というか、ナイフで串刺しにしたまま放置し、魚がピクピク動くのを見ている。このシーンは、拳銃の連射や牛の屠殺を見入る場面を連想させる。少年の心の闇を描いているのだろうか?
  
  

ある日の夕方、母だけでなく少年もおめかしをしている。少年の場合は、いつものシャツと半ズボンの代わりに赤茶のシャツとジーパンになっただけ。しかし、出かける時になって少年の靴が見当たらない。家中捜すが(1枚目の写真、矢印は裸足)、結局、裸足のまま出かけることになる。車での移動は病院に行くより長く、森の中のハイウエイをずっと走る。着いた先は、アメリカ流のナイトクラブで、ビリヤードもある。なぜ、母が息子を連れて来たのか理解に苦しむ〔前回は、夜、自分だけ食べに行ったので、同じようにしてもいいはず〕。そこには 少年の居場所はない。何台かあるビリヤード台が空いたので、始めてみるが、母がやってきて奪われてしまう。そして、母は、気に入ったらしき男と2人で嬉しそうにビリヤードを始める(2枚目の写真)。いたたまれなくなった少年は、ダーツを見つけ、1人で始める。ところが、しばらくしてビリヤード台に戻ってみると母たちがいない! 少年は必死に捜すが母の姿はどこにもない。外に出て駐車場でも、「ママ!」と叫んで捜し廻るところから、母の車まで消えてしまったらしい。何と無責任な母親。さきほどの男とモーテルにでも行ったのだろう。
  
  

どうしたらいいか分からない少年は、ひたすら家に帰ることを考える。裸足のまま舗装の上を歩いて幹線道路に出ると、歩道橋を渡って反対側に行く(1枚目の写真)。あとは夜中ずっと野道を歩き通し、辺りはうっすらと明るくなる(2枚目の写真)。最後は、何とか家まで辿り着き、真っ黒に汚れた足を念入りに洗う。
  
  

朝になっても母は帰って来なかった。少年は、映画の冒頭のように、自分のベッドのシーツをランドリーバスケットに入れると、母の部屋に向かう。脱ぎ捨ててあった母の衣類とシーツもバスケットに入れる(1枚目の写真)。ここまでは、最初とそっくり。しかし、それらを洗濯機に入れた後、液体洗剤を手に取った少年の心境は、まさに、題名の「Low Tide(どん底)」。こんな生活を続けることに、何の意義も感じなくなっていた。もう生きていたくない。少年は死のうと思い、洗剤を飲む(2枚目の写真)。
  
  

少年は3回洗剤を口にするが、待っていたのは吐き気。床に吐いて苦しむ(1枚目の写真)。次のシーンは病院にスイッチ。母が廊下で悩みながら待っていると、児童福祉課の職員(恐らく)に連れられた少年が向こうからやって来る。母は息子を抱きしめる(2枚目の写真)。職員は怖い顔でそれを見ているが、お説教のシーンなどは割愛されている。
  
  

母と少年は車に乗っている。向かった先は海。水着に着替えた2人は、海辺の砂浜にバスタオルを敷いて座る。会話は全くないが、母を見る少年の顔には笑みが浮かぶ(1枚目の写真)。母が作ったサンドイッチを食べた後、2人は海に入って行き、そこでしっかりと抱き合う(2枚目の写真)。母の表情からは、二度と前のようには戻らないという決意が感じられる。因みに、少年が母に置き去りにされて、「ママ!」と叫んでから10分後のエンディングまで台詞は一切ない。
  
  

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